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エーテルの麻酔作用を記述したのはファラディ

エーテルの麻酔作用を記述したファラディ

Faraday M. Effect of inhaling the vapor of sulfuric ether.

「エーテルの麻酔作用を記述したのはファラディ」だというのを、何かで読んではいましたが、それ以上の詳しいことはわからないままでした。今回、やや偶然の機会から出典がみつかったので紹介します。

化学者ファラディとその業績
ファラディは、「電磁気学の開祖」とされる人です。業績をみると、「1831年電磁誘導現象の画期的発見、1833年電流の自己誘導現象発見、1937年静電誘導発見、1850-51年電気と磁気についての近接作用論。電磁作用は空間をみたす力線が伝えると主張。マクスウェルの電磁場理論への道を拓く。他に1846年光の電磁波説の先駆的考察など云々」となっています。どうみても、電気を中心とした物理学者で、「化学者」のイメージがありません。「エーテルの麻酔作用を発見した」というのも、「天才の余技のようなもの」と勝手に推測していました。
それは間違いでした。ファラディの師のデイヴィ は、弱冠 22歳の1800年にベドーズ(Beddoes,T.)の主宰する気体研究所の主任となり、そこで亜酸化窒素の麻酔作用を含めていろいろな研究を行い、その業績で間もなく1802年には王立研究所の教授になり、1820年には王立協会の会長までも務めています。
研究者としてのファラディの経歴は、その1813年にデイヴィ の弟子となった時点で始まり、デイヴィ の業績とされるカリウム・ナトリウム・リチウム・カルシウム・ストロンチウム・バリウム・マグネシウムなどの金属の単離の成功には、ファラディの助力が大きかったと言われています。その後、ファラディ自身も塩素の液化(1823),ベンゼンの発見(1825)、電気分解に関する法則発見(1833)など実験化学面でも卓越した業績を挙げています。
ファラディは学歴がなかったのに素晴らしく優秀で、デイヴィ はこのファラディの才能を間もなく妬むようになって、いろいろと邪魔をしたというゴシップも伝わっています。
ともあれ、ファラディが電磁気学の研究を開始したのは1820年以降で、それ迄はもっぱら「化学者」でした。それで、中学生の頃に愛読した「ろうそくの科学」を思い出しました。あれには、化学者としてのファラディの面目も躍如としていました。
このエーテルの麻酔作用の発表は、ファラディが電磁気学に進む以前の1818年のことですが、そういう事情を知ってみると納得できます。

論文の全訳
論文は実に簡単なレポートで、1500字足らずですからちょっと長めの抄録程度で、内容もそのレベルです。デイヴィの笑気の研究は多方面にわたり、大部な書籍になっていますが(文献参照,550頁)、それに比較すると、ファラディのエーテルの研究はここに紹介するもの以上のフォローがあるのか不明です。
この論文は極端に短いので、全文を日本語で紹介します。
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V. エーテル蒸気吸入の作用
エーテルを空気に混ぜて吸入すると、亜酸化窒素のそれに類似した作用が生じる。作用をみるには、エーテルの入っている入れ物に管を入れ、管の先端がガス部分にあるようにして、ガスを吸入すればよい。最初は咽頭部(喉頭蓋)を刺激されるが、この刺激作用はすぐ弱くなり、間もなく頭が一杯になった気分になり、ついで亜酸化窒素で生じる作用を感じる。
管の位置を下げると、吸入毎に吸い込むエーテルの量がまし、作用が急速にしかも強く現れるようになった。
亜酸化窒素の作用が特に強い人にエーテルがどう作用するかを調べてみて、意外にも類似の感覚が生じると判明した。
亜酸化窒素ガスを吸入するといつも精神の落ち込んでうつ状態になる人がいるが、この人はエーテルの吸入でも似た状態になった。
この種の実験には注意が必要である。ある男性がエーテルを不注意に吸入して、強い傾眠状態になり、それは時々中断をはさんで30時間も続き、強い精神の落ち込みも加わった。脈拍は何日間も弱く、その間生命の危険さえ危惧された。(全文訳終り)
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この短い文章に「亜酸化窒素」という単語が4回出ている点からみても、デイヴィ の発見した亜酸化窒素の麻酔作用を意識して対比しながら研究を進め、文章を書いている様子が伺えます。

エーテル麻酔実用化との関連
短い論文ではありますが、この論文はよく読まれたことと推測します。テーマが目新しい上に、ファラディは研究者として有名になっていたはずですから。世界で最初にエーテルで実用的な麻酔を行ったとされるLong のエーテル麻酔(1842頃)は、ファラディの記述に従ったと言われています。具体的には、Long はエーテルに麻酔作用があることを知っており、若者から「遊びに使いたいので亜酸化窒素を入手したい」と注文を受けた時、「亜酸化窒素はないが、エーテルにも同じ効果があるはず」と教えて、すぐさまその重要性に自分でも気づいて実験を始めたと言われています。ファラディの発表を、直接か間接に知っていたことを意味します。Morton のエーテル麻酔公開実験(1846)も、ファラディの記述を知っていた Jackson という化学者がエーテルの麻酔作用をMorton に教えたのが端緒だったとされています。だから、論文の小さい割には重要だったのでしょう。
ところで、1818年から1840年代初頭までの20年間に、まったく何も起こらなかったのでしょうか。遊びとして使われただけだったのでしょうか。現在は知られていませんが、手術などの麻酔に使った例が実はあったのでしょうか。興味をかられる点ですが、その検討は歴史の専門家にお任せしましょう。

論文の所在と表現など
この論文の1818年は極端に古いもので、このシリーズのうちで最古でしょう。おそらく外国から取り寄せる必要があるかと予想しましたが、実際には東大の図書館にマイクロフィルムの形で存在しており、出典が判明してからあまり時間をおかずに入手できました。
タイトルに"sulphuric Ether" という表現があります。"sulphuric " は「硫酸」のことで、(濃)硫酸には強い脱水作用があり、エタノール2分子から脱水してディエチルエーテルをつくる性質があります。もしかすると、それがエーテルの標準的な製法だったのかも知れません。昔はこう表現するのがふつうだったようで、Morton のエーテル麻酔関係の論文にもこの用語が使われています。

参考文献
Davy, H. Nitrous Oxide (Chemical and philosophical;chiefly concerning NITOURS OXIDE, or Dephlogistricated nitrous air and its respiration. By Humphry DAVY, superintendent of the medical pneumatic institution. London, 1800)
(復刻版:Butterworth, London.)

注:この文章は、私が中心になって発行している麻酔科医対象の広報誌Anesthesia Antennaに、2005年初頭に発表したものです。

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