その後、カイゼルウイルヘルム研究所の化学部長と教授に任命され、空中窒素を固定してアンモニアを製造する業績によって、1918年にはノーベル化学賞受賞。この技術は火薬製造にも使われた。さらに、国家プロジェクトである毒ガス研究に従事したが、ユダヤ人として追放され、移住先でも「毒ガス研究者」の烙印を押されて不遇だったという。写真はAstrup P, Severinghaus JW. History of Blood Gases, Acid and Bases. Munksgaard, Copenhagen. 1986.より。