英文タイトル:Respiratory Physiology in High Altitude, with Special Reference to Sleep Apnea
高地の呼吸生理をテーマに調査しました。このテーマ自体には呼吸調節との関係で以前から関心もあり情報も集めていましたが、ここ数年に特別に興味を惹かれる二つの事件に遭遇しました。一つは、飛行機の中の低圧と、そこで息こらえするとパルスオキシメーターの読みが驚くほどよく下がる事実です。ある時、偶然にパルスオキシメーターをポケットに入れて飛行機に乗り、いわば退屈紛れに呼吸を止めてみて、Spo2の低下が急速なのに驚きました。計算してみると当然ですが、睡眠時無呼吸との関係で重要と考えています。ちなみに、飛行機の気圧は4/5気圧から 3/4気圧の間で、1700m から2500m の高地の気圧と同等です。
もう一つは、2007年夏に台湾の玉山(旧名:新高山、3952m ) に登った際に高山病の症状はなかったのに、前夜泊まった山小屋(3400m) で私を含めて同行の仲間6人全員が「睡眠不良」を訴えた点に興味を持ちました。私自身も6時間の臥床で身体は休まっていたものの、「眠った気がしない」気分でした。こんな経験から、このテーマへの関心が強くなりました。
高地呼吸生理の基礎データ
高地の呼吸生理に関しては、いろいろな本もあり手元にある"Handbook of Physiology :Respiration"(1964,1965 年発行の2冊) にも章が一つ設けられています。でも、これではいかにも古いので探したところ、いくつかみつかりました。一つは" Altitude.org: A High Altitude Resource : http://www.altitude.org/index.htm"というので、文章だけで30KB ほどあります。一方、以前に紹介した生理学教科書(" online medical textbook content: http://www.mfi.ku.dk/ppaulev/content.htm ) の呼吸の章の最後の二つがスポーツと高空を扱っていますが、高地生理の部分は量が十分ではありません。三つ目は、"eMedicine Specialties > Pulmonology > Altitude Edema and Lung Diseases:http://emedicine.medscape.com/article/303571-overview" というもので、カリフォルニアのロマリンダ大学の Kale という方が書いて、合計70KBに及ぶ大作です。教科書としては、この三つでとりあえずは十分と感じます。
高地の呼吸停止や息こらえの記録は少ない
上の教科書だけでなくて、個々の論文でも高地でのハイポキシア・ハイポキセミアを扱っている論文は数限りなくあります。その割りに、高地での呼吸停止や息こらえに関する記述は少なく、高地での睡眠障害と睡眠時無呼吸の問題の考察も十分ではないと感じます。たとえば、日本語で「高地睡眠障害」というような単語をキーワードとして探すと、単語の記述は山ほどみつかります。しかし、そもそも大多数の記事は項目が書いてあるだけです。本の広告は仕方ないとしても、一般の解説記事でもあまり異なりません。少数には記述がありますが、それも「高地で睡眠が障害されることが少なくない」と書いてあるだけ、せいぜい「周期呼吸が出やすい」という程度です。項目だけのものが千あると、一応の解説のあるものは50以下というところでしょうか。そうして、病理・病態・病因などを詳しく記述してあるものはほとんどみつかりません。
周期呼吸についてはよく知られており、上記の教科書にも解説されているので、それはいいとして、もう少し詳しい血液ガスのデータなどを探しました。
乏しい中での貴重なデータがボリビアからの報告で"Changes In Oximetry During Breath Holding In Normal Residents Of High Altitude (3510m) :3500m の高地での息こらえ実験でのSpo2変化" という論文(http://www.geocities.com/CapeCanaveral/6280)で、注釈として1998年に松本市で行われた「登山医学と高地生理の進歩」という研究会の記録と書いてあります。それによると、このレベルの住民14人の安静時Spo2は90.4%、深呼吸をしてからの息こらえ時間は65秒、Spo2の最低値は78%が平均の数値です。報告書にある図をわかりやすく改変したものを参考のために掲載します。(図1)
高地旅行の貴重なデータ
息こらえではありませんが、日本の方が13人で高地旅行をした際の経験を詳しく記録したものがみつかりました。仙台の三好耳鼻咽喉科クリニックというところの頁(http://www.3443.or.jp/tsushin/t0801/t0801_1.htm) に、「チベットでのアレルギー研究の一環として5200m の高地を訪れて」です。一行の中には、高山病の初期症状を呈した方もおり、またパルスオキシメーターを持参して数値を詳しく報告しています。
通常の論文には現れにくい生のデータをみて、興味深い点がいくつもあります。たとえばSpo2の平均値は5200m の最高点(馬稜丁)で79%なのは理屈通りですが、脈拍数が最高になるのは最初の高地到着の翌朝(ラサのホテル:3600m) で平均値で105/分、個人では130/分を最高に過半数で100/分を超えています。しかも、これはラサ到着の翌朝で動き始める前のデータです。ところが同じ日の午後に上記の最高点に達した時には、脈拍数はやや落ち着いて平均値で99/分で100/分を超えた人は数人で、それも一人を除くと大幅には超えていません。文章の記述から、夜間の睡眠が特に重大だった様子が伺え、「深い呼吸を意識していないとすぐに苦しくなり、生きることに真剣に向き合った夜」と参加者の一人が書いています。
データの中に、ラサ近郊で現地の中学生とSpo2値を比較したものがあり、日本から行った人たちの平均値84%に対して、現地中学生は93%もあります。この場所の標高は3640m で、肺水腫がないとするとSpo2の84% はPaco2が35mmHg 程度までしか過換気しておらず、一方中学生のSpo2の93%はPaco2が20mmHg 程度まで過換気すると達成できるレベルです。もっとも、酸素解離曲線を正常と仮定していますけれど。常時このレベルまで過換気を続けるには、単に呼吸中枢の「順化」だけでなくて、横隔膜のスタミナが必要なのかも知れません。一方、日本からの訪問者が5200m で79%というのは、Paco2では25mmHg 程度の過換気が必要なレベルです。詳しいスケジュールは記述してありませんが、2日弱でここまで達成できているようです。こちらも、Paco2の推定値も加えた図を載せます。(図2)
この文章は、写真と図表も提供しています。パワーポイント形式ではないので、スライドの文字が画像になっている点が残念ですが、それにしても有益で、「生のデータの貴重さ」を痛感します。
飛行機内と高地と
飛行機内や高地でSpo2や血液ガスを測定したデータは山ほどあり、その中にはエベレストの頂上直下で測定した最近の報告なども含まれます(Ref1)。
アセタゾルアマイドが、高地移住ないし高山登頂の際に有効というのは確立した事実ですが、それを適用した論文もいくつかみつかりました。その一部に、「アセタゾルアマイドの作用が未解決」と書いてあるのを、意外に感じました。私の認識では、「炭酸脱水酵素阻害」で十分に説明可能なのですが、それでは何か不足なのでしょうか。
登山や高地旅行の際には、「睡眠薬やアルコール摂取を避けるように」と書いてあります。高地ではアルコールは危険であり、しかもその作用が長引くという事実も知られています。飛行機の中でさえも、「酒がよく効く」とはアネクドートとしては言われ、理屈からも十分に説明できます。
ところが一方で、飛行機の中でのアルコール摂取を特に制限はしていません。それどころか、摂取を勧める機運さえあるように感じます。飛行機内の気圧は、標高に換算するとせいぜい2500m 程度で、上記の3500mとか5200m と比較すればハイポキセミアを招く程度もずっと軽度ではありますが、一方で対象となる人の体調や年齢が違います。登山やトレッキングに出かける場合、ある程度は自信もあり体調も整えて向かうでしょうが、飛行機は高齢者や病人を含めて誰でも搭乗します。ハイポキセミアの程度が軽いといっても、睡眠時無呼吸のある方とくに心臓や脳血管などに障害のある高齢者などでは、安全とは考えられません。
結局データは見つからなかったものの、飛行機の中での睡眠時無呼吸の危険は十分に推測できることで、研究とそれに基づく警報が必要と考えます。ついでに、私の計算した飛行機内での呼吸停止によるSpo2低下などの推定の様子を提示します。(図 3)
閉塞性睡眠時無呼吸から目覚めるメカニズム
最後に推測を書きます。閉塞性睡眠時無呼吸がブレイクするのは、平地では血液ガスの要素はあまり大きくなくて胸郭の異常運動(奇異呼吸) が中心でしょう。10秒の呼吸停止では、呼吸を刺激するレベルのハイポキセミアは起こらないはずだからです。一方高地や飛行機内で目が覚めるのは、ハイポキセミア自体でしょう。図3に示すとおり、2300m では安静呼吸でPao2は70mmHgを下回り、10秒の呼吸停止で60mmHgをしっかりと下回ります。「飛行機内で身体が休まらない」、「長距離飛行で疲れる」というのは、騒音など他の要因も大きいとしても、こうしたハイポキセミアの反復も大きな要因になりうるのではないでしょうか。
飛行機内の大きな事故(死亡事故など)のうち、エコノミークラス症候群(肺塞栓)は25%程度と分析されており、残る3/4 は「他の心筋梗塞や脳血管傷害」と推測されています。ハイポキセミアが、原因の一つとして大きな役割を果しているかも知れません。
参考文献
1. Grocott MP, Martin DS, Levett DZ, McMorrow R, Windsor J, Montgomery HE; Caudwell Xtreme Everest Research Group. Arterial blood gases and oxygen content in climbers on Mount Everest. N Engl J Med. 2009 Jan 8;360(2):140-9.
図 1 ボリビアからの報告。3400mでの呼吸停止によるSpo2の低下を調査した図。著者の原図に諏訪が手を加えた。息こらえ開始から数秒後に、一度Spo2が上昇している。必ずしも普遍的ではないが、ときに見られる現象である。
図 2 仙台のグループのチベット旅行のSpo2とPaco2の値。Paco2値は諏訪が推定して書き加えたもの。
図 3 2300m の高地で機能的残気量2500ml で呼吸停止30秒間のPao2とSpo2の低下を、平地のそれと比較したもの。一部を除いて計算値。