英文タイトル:Advantages of Avian Lungs over Those of Mammals.
インターネットを眺めていて、「ヒトの肺は進化のあやまりでできたのか」というウェスト氏らの文章に遭遇しました。(Ref 1)
トリの肺のほうが構造的にも機能的にも合理的で、いろいろな点で優れているというのです。トリの肺がヒトや他の哺乳動物一般の肺と働き方が異なることを知ってはいましたが、詳しいことは知らず機能評価の見解は私には新しかったので、詳しく知りたいと考えて検索してみました。
トリの肺の構造と機能
調べてみると、このテーマは以前から広範囲に研究されている事柄で、インターネットにも大量の記述があります。つまり「私は知らなかった」けれど、少なくとも一部の方々、特に鳥に関心を寄せる方々にとっては「トリの肺のガス交換効率のよさ」は常識で、インターネットでも日本語でたくさんの方々がこのテーマを記述しています(http://ja.wikipedia.org/wiki/肺、http://toriz.info/birds_kikan_hai.html、http://www3.famille.ne.jp/~ochi/kaisetsu-01/06-hai-kinou.html)。
簡単に説明すると、トリには「気嚢」が身体中に分布しており、これは一種の「吹子系」で空気をとりこんでは送り出す働きを担っています。しかし、この気嚢自体にはガス交換能はなく、ガス交換装置は「肺管」という気流管と血管の直交した装置が担当しています。このガス交換装置は、ガスと血流が流れるだけで哺乳動物の肺のような膨張収縮はせず、気嚢がこの肺管に空気を送り込むわけです。基本的には、身体下方にある後気嚢が、外気を取り込んでこれを肺管に送り込み、ガス交換を終わった気体を身体上方にある前気嚢が受け取って、そのまま外界に放出する役割を果たしています。一方で、この気嚢の存在が身体全体の密度を下げて、飛翔に有利なシステムとする役も果たしているのは言うまでもありません。
このシステムでは、機能的残気量が不要ないし少なくとも極小にできます。その上に、気道はあっても、ガス交換の上で解剖的死腔に当たるものが存在しません。したがって、トリの肺の肺胞気酸素分圧は基本的に吸入気酸素分圧と近い(PAo2≒PIo2)わけです。
ガス交換に有利な点
この、気流が往復しない換気方式は魚の鰓にも採用されていますが、トリの肺管では気流と血流が直交する方向に流れて、"cross-current" になっています。これは「横流」あるいは「交叉流」と訳されるようです。"counter-current "(「対交流式)なら、ガス交換を完了した血液は、外気と同一の酸素と二酸化炭素の分圧に達するので、PAo2 だけでなくてPao2 さえもPIo2 に等しく維持できる理屈ですが、横流ではこれほどの効率は達成できないとしても、血管は気相を往復したり回転してそれに近い効率を達成しているようです。
トリの肺の生理学を詳しく研究している人としてMaina 氏がいます。南アフリカのヨハネスブルクで活動して、PubMed を調べると大量の論文を発表し、またウェスト氏と共著の解説文もPhysiol Rev 誌に書いています。もっとも、この総説自体はトリも扱ってはいますが、中心テーマにはしていません(Ref 2,3)。これによると、気流管と血管とは必ずしも一回だけ接するのでなくて、何度も接する場合もありそうです。
高地(高空)での優位性
高地において、このトリ方式の肺の換気とガス交換方式は圧倒的に有利で、人の肺のように、PAo2を高値に維持するのに換気量を増す必要がなく、死腔の存在による酸素化障害もありません。Paco2は常にゼロ周辺に維持でき、換気量を特に増すことなく平地と同じ換気量でPAo2 ≒PIo2 を達成できる理屈です。
最近、エベレストに登頂した人たちを8400m(気圧は272 mm Hg :36.3 kPa) で採血して血液ガスを分析した報告が出ました(Ref 4)。それによると、Pao2と Paco2 の平均値は各々 24.6 mmHg と13.3 mmHg です。しかし、この高度でのPIo2は50mmHgなので、もしガス交換効率が最高の肺なら、Pao2 も50 mmHg 付近に維持できるはずです。その上に、人でPaco2 を13 mmHgに維持するには通常の3倍以上の過換気が必要で、すでに酸素の乏しい状況でこの過換気の要求するエネルギー需要に応じるのは大きな負担ですが、トリ方式なら換気は特に増す必要はない理屈で、この点でも有利です。ヒマラヤやアンデスの高山の上空を鳥が悠々と飛んでいく様がいろいろに伝えられており、直接データはないものの「トリなら平気だ」という記述の論拠になっています。
トリの肺の構造面の優位性
ウェスト氏の論文は「人や哺乳動物の肺は、微細なガス交換装置つまり肺胞を常時膨張収縮させて動かしているので、肺胞と毛細管の構造体が損傷を受けやすい」と述べ、特に「安静時には比較的軽度だが、運動時には重大な問題になる」と指摘し、この点を図で説明して「鳥のガス交換装置は動かないから損傷を受けにくい」としています。この論点は重要な主張で、これを中心テーマにすえて指摘しているものは他には見当たりません。説明を受ければその通りで、たしかにトリの肺のやり方ではガス交換装置は気流は流れるものの換気とは無関係です。ガス交換装置には、毛細管とそれに対応する細い気流とが必要で、哺乳動物の肺のようにガス交換部分に換気まで担当させるのは故障の源だという指摘は正当と感じます(図)。
一方、同じ論文で「トリ方式なら換気血流比不均等の問題は発生しない」と主張していますが、この点はそれ以上詳しい説明を加えていません。しかし、トリ方式でもガス交換障害はいろいろと想像はでき、「効率100%が必ず達成できる」という保証はありません。まあ、有利なことは間違いないでしょうが。
一方、ウィキペディアの著者は「鳥の気嚢は全身にくまなく入り込んでいるため、獣医学的には鳥の呼吸器感染症は重篤になりやすいと言われている」という意見を書いています。鳥の呼吸器感染症がいろいろ知られてはいますが、この点は今回は追求しないでおきます。
トリの肺は恐竜時代の低酸素への適応からの進化だとの説
トリの肺が爬虫類の恐竜から進化した点は事実ですが、この「爬虫類の恐竜から進化」にもっと積極的な意義を認める説もあり、地球の歴史で酸素濃度と分圧が低かった時代に、トリは能率よく生き延びられたという説を本に書いている人がいます(Ref 5)(http://zatsugaku.com/archives/2008/04/post_782.html)。ただし、この点はインターネットの文章の引用で、私自身はこの書物自体を参照はしていません。
ともあれ、トリの肺にこんな面白い問題があって、「哺乳類より有利」という指摘は割合に普遍的なことを私ははじめて知りました。ウェスト氏らは、哺乳類の肺が「トリとは別の方向に進化した」点について「進化は目標を定めてそこにまっしぐらに進むものではなく一歩ずつ進むので、最初にある方向に歩みだすとそのまま進んでしまうのだろう」という意見を述べています。そうしてトリが有利の傍証として、「体重あたりの最大酸素消費量で、哺乳類より優れている鳥がいる。酸素消費量の増加の幅が広い例もある。哺乳類は4000種しか残っていないが、鳥類は9000種も残っているとの事実も指摘できる」とも加えています。
参考文献:1 - 3 はオープンアクセスです。
1. West JB, Watson RR, Fu Z. The human lung: did evolution get it wrong? Eur Respir J 2007; 29: 11-17
2. Maina JN. What it takes to fly: the structural and functional respiratory refinements in birds and bats. J Exp Biol. 2000;203:3045-64.
3. Maina JN, West JB. Thin and strong! the bioengineering dilemma in the structural and functional design of the blood-gas barrier. Physiol Rev 85: 811.844, 2005;
4. Grocott MPW, Martin DS, Levett DZH, McMorrow R, Windsor J, Montgomery HE. Arterial blood gases and oxygen content in climbers on mount everest. N Engl J Med 2009;360:140-9.
5. ウォードPD 著 恐竜はなぜ鳥に進化したのか―絶滅も進化も酸素濃度が決めた 東京、文芸春秋社、2008年
図. 哺乳類の肺はガス交換装置と換気装置を分離しておらず、それが構造的な弱点であると示すウェストらの図(Ref 1 )を、筆者が少しだけ改変した。