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セレンディピティと科学の発見

英文タイトル:Serendipity and Scientific Discovery. Especially from Nobel Lecture by Koichi Tanaka

最近、「セレンディピティ:serendipity」という語が、世の中でよく使われるようになりました。googleで検索すると、"serendipity"という英単語で640万件、「セレンディピティ」という日本語で29万件みつかりました。広辞苑にも載っています。

原義と現在の使われ方と
この単語の意味は、「偶然に恵まれて、本来探していた事柄とはまったく別の有意義な発見をすることまたはその能力」と定義されるようですが、最近使われる意味では内容がどんどん拡張されており、そのこと自体は「言葉は生き物」という意味で仕方ないというか当然でしょう。2001年には、この語をタイトルとしてアメリカ映画が発表され、現在でもDVDで販売されて、筋書きを読むと単純な「出会い」によるラブストーリーのようで、これはもう原義とはかなり違っていてタイトルの必然性がわかりませんが、どの道タイトルというのはそういうもので異を唱える気はありません。
この単語で検索をかけると、もちろん原義とおりのもあり、たとえば茂木健一郎氏がそれを説明しています。この語をタイトルとした本も何冊かあり、例としては「日野原重明著:幸福な偶然(セレンディピティ)をつかまえる」や「宮永博史著:成功者の絶対法則 セレンディピティ」がみつかりました。
一方で、この単語を社名や商品名にもしており、「セレンディピティ」を名乗る企業グループ、ネイルサロン、紅茶、ケーキ屋さん、イヌの洋服屋さんがみつかりました。「セレンディピティ株式会社」が英語名として"seren∂ipity "と綴っているのは、一文字変えることによって普通名詞を固有名詞化していると解釈します。ギリシャ語の∂(デルタ)を英語の"d"の代用にするのは自然です。
この単語が有名になってきた経過を正確にはトレースできませんが、とにかく日本の歴史は何十年も遡らず、せいぜい10年か15年の歴史のように感じます。

医学領域での使われ方
医学領域でこの用語が使われるようになったきっかけは、私の知る限りあのコムロウの"Retrospectroscope " で、実際インターネットにもよく引用されています。原文は、1977年に発行されたAm Rev Res Dis の"Roast Pig and Scientific Discovery"と題する2編のエッセイで、そこにはイギリスの文筆家ウォルポールが「Serendip(セイロン:現在のスリランカ)の3人の王子」という童話からつくった単語であることも紹介しています。おかしいのは、コムロウを紹介するインターネットの文章では「納屋の中で針を落して,干し草の山の中をかきまわしていたら,娘っ子がとびだしてきた」と書いたものが多数ありますが、コムロウ氏は「ただ『娘っ子がとびだした』ではつまらない。『醜いカエルが出てきて,それにさわったら,素晴らしい女の子になった』というのがもっといい」と明確に記述しています。誰かが間違って引用すると、それが次々と孫引きされて間違ったまま確立する例かも知れません。
このエッセイが本になったものを私が読んだのは1980年頃で、「豚の丸焼きと科学の発見のⅠとⅡ」でコムロウ氏はセレンディピティの例を30ほど挙げ、その中から呼吸器学に縁の深いものを選ぶと、バラッチの記述した慢性閉塞性肺疾患患者の口すぼめ呼吸の記述、聴診法と打診法、アナフィラキシー、頚動脈小体の働き、免疫療法の話、胎児の呼吸運動の発見、抗結核剤・イソナイアザイドINH などが例です。
実はこの本にはすぐ次の章に、「絶好のチャンスを逸す:Missed Opportunities」というエッセイがあって、いわばセレンディピティにしそこなったものを扱っています。内容は、笑気とエーテルと局所麻酔薬の話(いずれも実用化に時間がかかった)、フォルスマンが心カテーテルを施行したのは1929年だが周囲特に指導者に妨害されてそれ以上追究できなかった事実(27年後にフォルスマンがクールナンらとノーベル医学賞を受けた時、彼は泌尿器科の開業医でした)、ワクスマンがストレプトマイシンを発見したのは1944年だが実はそれより20年以上前に機会があった点、トーシック(ジョンス=ホプキンス大学)がグロス(ハーバード大学、動脈管の閉鎖に成功)に「鎖骨下動脈・肺動脈吻合」を提案したが断られて仕方なしに自分の勤務先大学のブレイロックに依頼した話(それでグロス=トーシック手術とならずにブレイロック=トーシック手術となった)、それにハントとタボーがサクシニルコリンの筋弛緩作用を見落とした(Ref 1)事実などが載っています。
ところで、このサクシニルコリンの筋弛緩作用を見落としたのは、実験動物にクラーレを使って人工呼吸をしていたのが理由で、麻酔学の領域で有名で教科書にもそう書いてありますが、私は違う解釈です。当時(1906年)、アセチルコリンは物質としては知られていましたが、生理物質としては知られておらず,薬理作用の記述もありませんでした。副交感神経末端の伝達がアセチルコリンによるとレーヴィが発見するのは、ずっと後の1921年です。1906年の時点で、ハントとタボーは「どうもコリンエステルが体内で重要な働きをしているらしい」と推定してコリン誘導体を19 種ほど合成して調べ、アセチルコリンがごく微量で徐脈をはじめとする強力な作用を示すことを発見しました。この論文の「結果」部分のほぼ全部をアセチルコリンの作用の記述に費やしているのは当然で、アセチルコリンの作用という重大な発見に対しては、サクシニルコリンの筋弛緩作用など(見つけたとしても)無視して不思議ではありません。この点については、私はコムロウの著作の訳書の注としても記し、また別の本(諏訪著:『医学の古典を読む』)にも詳しく紹介しました。

田中耕一氏のノーベル賞受賞講演
高分子物質の質量分析でノーベル化学賞を受賞した田中耕一氏の仕事が、セレンディピティの一種と解釈できそうです。まず、ノーベル賞の受賞講演を要約して紹介します( http://nobelprize.org/nobel_prizes/chemistry/laureates/2002/tanaka-lecture.html)。 ノーベル賞のタイトルは、"For their development of soft desorption ionisation methods for mass spectrometric analyses of biological macromolecules" ですが、田中氏の講演タイトルは"The Origin of Macromolecule Ionization by Laser Irradiation" で、文章だけで34KB あって大変に雄弁で、その上に20葉ほどの図が付加されて理解を助けます。
田中氏が発表で述べていることを、「セレンディピティ」の眼でみるとこんな風になります。
☆「アセトンとグリセリンを間違えた」という有名な箇所で、そこはこうなっています。
UFMP(微細金属粒子)の混濁液をつくるのに通常はアセトンを使っていたが、ある時
1) 単純な間違いでアセトンの代わりにグリセリンを使った。しかし、UFMPは高価なので間違えたからといって捨てるのは勿体ないと考え
2) このサンプルを利用しようと決断した。グリセリンは真空中で蒸発して消滅することがわかっていたが、ただ待っているのはつまらない。そこで
3) グリセリンの蒸発を促すつもりで、レーザー照射を継続した。おまけに結果がみたかったので
4) TOF(Time-of-Flight Mass Spectrometry:時間飛行型質量分析)スペクトルを見ようとこれをモニターした。
それまでは、レーザー光の吸収が高すぎて、分解産物しかとれなかったが、グリセリン媒体にすると元の物体が直接測定できた。その後は、何度分析しても安定して測定できるようになった。
アセトンとグリセリンを間違えたチョンボにはじまって、以上四つの要素が重なって未知の現象を観察することになったわけです。
☆次は、研究会の場面です。
1) この原理で装置をつくって、1987年の日本の質量分析学会で発表した。理解はされたが、それが特に有用とは受け取られなかった。
2) その直後、日本中国合同質量分析研究会に出席したところ、この領域の権威のコッター教授が講演で「高分子物質の分析には、PDMS(Plasma Desorption:プラズマをもちいた脱着法による質量分析)のほうがLDIMS(レーザーをもちいた脱着イオン化法による質量分析:田中氏の方法はこちら)より有用だ」と述べた。
3) 自分はこの考えに納得できず、しかもすぐ翌日に自分の方法と結果を発表する予定だったので、教授に対して「不賛成」と述べ、自分のデータを示した。翌日、教授は自分のポスター発表をみてさらに印象をつよくしたようで、これをアメリカとヨーロッパの研究者に伝えた。この発見が外国に伝わるきっかけとなった。
4) 一方、阪大の松尾教授(当時助教授)の勧めでしぶしぶながら、自分は論文に仕上げた。
5) コッター教授との情報交換と松尾教授の勧めで論文に仕上げたことが、結果的には重要な意味を持った。
☆ その後の経過は、自分の貢献はなかったように書いていますが、実際はどうなのでしょうか。
1) この原理で装置をつくって販売したが、国内ではまったく売れなかった。200箇所ほど訪問して販売を試みたが、製薬業界・医学界の希望に対して感度・精度・分解能が不足だった。購入して使用してくれたのは、カリフォルニアのベックマン社だけだった。
2) 自分自身は一度この領域をはなれ、会社の命令でイギリスマンチェスターの子会社に移ったが、その間にコッター教授をはじめ多数の研究者がこの方法をさらに発展させ、また有用な手法として成果を発表して下さった。
もっとも田中氏の上司である喜利元貞氏の別の解説によると、田中氏はこの子会社でコンパクトな質量分析装置を開発して、全世界でたくさん使われたということです。
☆田中氏は、終わりのほうでこんなことも述べています。
1) 自分は大学では電気電子を学んだので、化学の知識は会社へ入ってから一生懸命勉強した。
2) その際に、同僚や先輩との議論が何よりの力となった。
3) 自分のように、会社に所属している人間の仕事がこんな風に評価されるのは、同じ立場の人たちを非常に勇気付けるだろう。
4) ともあれ、この仕事は多数の人たちの協力で生まれたものである。
田中氏には、「生涯最高の失敗 (朝日選書)」という著作(Ref2)もあります。そちらも興味深い内容で意欲と機会のある方にはお勧めしますが、でも大綱はノーベル賞受賞講演で十分にわかります。また、田中氏の仕事を評価した他の記事も大量にあります。
田中氏の場合、探していた方法が偶然にみつかったのですから、厳密に言えばセレンディピティの定義には当てはまりません。それにしても、セレンディピティからはじまって、田中耕一氏のノーベル賞受賞講演と著作とを丁寧に読む機会を得たのは幸運でした。

参考文献
1) Hunt R, Taveau RM. On the physical action of certain cholin derivatives and new methods of detecting cholin. Brit Med J 2:1788-1791. 1906.
2) 田中耕一著 生涯最高の失敗 (朝日選書)、朝日新聞社、東京、2003

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