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ミズグモ:陸生動物が水中につくりだす「家」

英文タイトル:Water Spider: Living in Water in a Bubble Exchanging Gases with Surrounding Water

私は東京の井の頭公園のすぐ近くに住んで、ときどき付属の自然文化園に行きます。最近、その水生自然文化園(水族館)で「ミズグモ」という生物の展示を観て興味を感じました。
空気気泡を取り込んで潜水する動物としてはゲンゴロウが有名で、これは身体に気泡をつけて潜って潜水時間を延長させることが判明しています。これに対してミズグモは、もっと極端なことをするので、生態に興味をもってインターネットを調べてみました。

ミズグモとその生態
ミズグモはくも(蜘蛛)の仲間で、昆虫と同様に本来は気管で呼吸する生物で鰓(えら)はありません。それなのに、一生を水中で暮らす唯一の種類です。世界では、北ヨーロッパやシベリヤなど寒冷地で水のきれいな池・沼などに棲息しています。日本では、1930年代に京都市の深泥池(みどろがいけ、みぞろがいけ)で発見されたのが最初だそうで、その後北海道を中心に何箇所か生息が確認されています。日本のは世界で知られている数種のものの亜種で、こちらは絶滅危惧種に指定され、井の頭公園では2006年から生育をはじめて、12匹から現在は100匹を越す数まで繁殖して増やすことに成功したと自慢そうに書いてありました。
ミズグモは、水中に気泡室をつくってその中で生活するという愉快な生態で、気泡は藻などの茎や葉と、そこに張り巡らせるクモの糸とをつかって比較的大きなサイズに維持できるようです。クモ本体のサイズは10~20mm くらいで、時にはそれがすっぽり全部入るほど大きな気泡をつくる場合もあり、いくつかの気泡に分けて身体にくっつけて生活する場合もあるようです。生後少しするとそんな生活を開始し、水生昆虫などの食物を捕らえて成長して脱皮して成熟し、さらに産卵・生殖・繁殖して子孫を残していきます。
消費する酸素は周囲から気泡内に拡散してきて供給され、呼出した二酸化炭素は周囲へ拡散して除去されます。「ミズグモのアクアラング」と書いてありますが、ヒトがつくったアクアラングは単なるボンベで、水中の溶存酸素をとりこんだりするガス交換機能はありません。
ミズグモの気泡は、メスのものが大きくオスのものが小さいと判明しています。オスは「狩猟活動」が活発で水泳も潜水もメスより得意ですが、しかしミズグモは遊離で泳ぐことは少なくクモの糸や植物につかまって移動する性向が強いと説明されています。おかしいことに、若い個体ではカタツムリの殻を空気で満たして家にする例もある由で、ヤドカリを連想させます。
[学名の由来] ミズグモの学名 Argyroneta は、ラテン語で"銀の網"の意味で、気泡の故に銀色に輝く傾向を描写する用語ですが、クモ自体は黒色です。なお、稀にヒトを攻撃することがあり、刺されると痛くて腫れるようですが、生命の危険はありません。
[繁殖] 繁殖に際しては、オスが気泡をメスの気泡に寄せていき、通路をつくってメスの気泡に侵入して交尾します。
[浮上] ときどき水面に出て、体表面の毛の周りに空気をつけて潜水して気泡に追加する習性があります。「気泡の酸素濃度が低下すると、浮き上がって空気を取り込む」と考えられていますが、現時点ではその証拠が明確でなくて、不明な要素が残っています。あるいは、酸素と二酸化炭素を失って気泡のサイズが減少するのを補うのか、それよりは癖か習慣の一種なのかわかっていません。
[食物連鎖]ミズグモは肉食性で、食物はかげろうなど水生昆虫の幼虫、水生ダニ、甲殻類などを食します。一方、カエルや各種魚類がミズグモを食します。

ミズグモの研究論文二編
Schutz とTaborskyという二人の研究者が、ミズグモの論文を二編発表しています(Ref 1,2)。Schutz はオーストリアのウィーンにあるローレンツ研究所の人、Taborsky はスイスのベルン大学の人です。論文の一つは、ミズグモの生態をくわしく研究したもので、もう一つは気泡のガス内容を変更してそれに対する振る舞いを研究しています。
第一の論文は形態学と生理学の研究で、多数のミズグモ個体を分析して、オスがメスより30%ほど大きいと結論し、オスが活動して餌を捕食するという活動性に原因を求めています。通常の陸生のくもでは、オスが小さいのがふつうで、陸では小さいほうが運動性が高いと考えられる理由がありますが、ミズグモのような水生動物では大きいほうが高い運動性を維持するのに有利と考えられるようです。
彼らの研究によると、オスがメスより体長も大きく(3.7mm vs 3.3mm)体重も重く(0.16g vs 0.1 g)、さらに第一脚対の長さもオスが大で移動に有利としています。また一般に、オスのサイズ変動幅はメスのサイズ偏差よりもずっと大きいと判明し、同時に体形と第一脚対の長さの変動幅もオスで大きいと示しています。
機能面で見ると、オスは潜水能も高く水草につかまって動き回る時間が多く、ガラス柱を潜らせる実験ではオスのほうが底に到達する頻度が高いと観察しています。一方、メスはじっと静止している時間が多く、活動性は高くありません。一方、気泡自体はメスのそれが大きく、要するにメスは多産が重要な機能と結論しています。
48時間の連続観察中に水面に浮上する回数を数えると、オスが74回に対してメスが60回と、オスが多いものの両者の差はあまり大きくはありません。ところが、その浮上の際に空気を取り込む頻度は、オスが13%に対してメスが30%とメスのほうが断然多く、この点もメスの繁殖機能を支えると解釈されます。
メスのサイズの意義として、幼虫生産数がメスの体重に比例し、メスの気泡サイズも体重に比例することも見出し、要するにメスはその機能を果たすように活動していると解釈できます。ちなみに、オスの気泡サイズは体重に無関係でした。ミズグモの密度は0.727で、水より軽いというデータが出ています。
二番目の論文は、「気泡が酸素のストアか、単なるスペースかを定める」のを狙いとした実験で、メスを対象に気泡の組成を変更して、純酸素・純二酸化炭素・空気の三種類として、それに対する生体の振る舞いを観察して計測しています。結果は、二酸化炭素気泡では、浮上して空気を取り込む回数がずっと多くなり、さらにくもの糸を気泡周辺に加える量も増して気泡を維持する努力が観察されました。一方、純酸素と空気とでは差がありませんでした。
この結果により、「くもは気泡を酸素ストアとして使っていることは間違いない。しかし、酸素濃度をモニターする機能はないだろう」と結論しています。
この研究結果はそうですが、インターネットの頁では「酸素が減ると浮上して空気を取り込む」と書いてある頁が数多くあります。Schutz の研究は、空気と純酸素とを比較しただけで、「両者に差がなかったから酸素のモニターはしていない」と結論していますが、この実験には低酸素の条件を組み込んでいません。いろいろな段階の低酸素を比較検討していないのですから、「酸素のモニターをしていない」と結論するには不十分で、最終結論として認めるには逡巡します。今後の研究成果に期待しましょう。

その他の注意点
一般のクモでは、よく知られている通り交尾後にメスがオスを食べてしまうことが多いのですが、ミズグモではそんな習性がありません。理由は不明ですが、オスが大きいことと関係するのかも知れません。ミズグモは数種しか知られておらず、日本のものも一般ミズグモ種の亜種です。
これに対して、類似のアクアラング生物であるゲンゴロウは種類が多く、「ゲンゴロウ科」という大きな分類の下に多数の属と種が知られています。
気泡がかなり大きいので、それが安定に存在するのは必ずしも容易とは思えません。何か界面活性物質を出しているのか、それとも単に水草の枝や葉に張ることによって圧差に打ち克っているのか調べましたが、その点を解明するデータはみつかりませんでした。シャボン玉と異なって界面はひとつですから、通常の水の表面張力のままでも内圧が高くなるだけで比較的安定しやすいとは考えられます。

参考のインターネット頁
http://www.metro.tokyo.jp/INET/EVENT/2006/08/21g89100.htm
http://news.nationalgeographic.com/news/2007/08/070828-scuba-spider.html
http://en.wikipedia.org/wiki/Diving_bell_spider
http://www.naturegrid.org.uk/pondexplorer/gallery/wspid.html
最初のものが井の頭自然文化園の頁です。最後のものが、分量はさほど多くないのに特に情報豊かで興味深い内容です。

参考文献:下の二つはオープンアクセスです
1) Schutz D, Taborsky M. Adaptations to an aquatic life may be responsible for the reversed sexual size dimorphism in the water spider, Argyroneta aquatica. Evolut Ecol Res 2003, 5: 105.117.
2) Schutz D, Taborsky M, Drapela T. Air bells of water spiders are an extended phenotype modified in response to gas composition. J Exp Zool Part A Ecol Genet Physiol. 2007 :307(10):549-55.

図:ミズグモの水中の気泡と生体の関係を示す写真
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